みなさん、斎藤由則さんをご存じですか?
中卒で超難関私学の慶応義塾大学に44歳で合格した異色の人物。
その人生は、ふつうでは考えられない道をたどってこられています。
今回は、そんな斎藤由則についてご紹介したいと思います。
斎藤由則とはどんな人物?

現在46歳になられる斎藤由則さん。
彼の人生は、ふつうでは考えられない流れで進んでいるようです。
彼は、子どものころからやんちゃだったらしく、学歴も中学卒。
その後は、32歳までアウトローな人生をたどり続けたそうです。
詳しくは→YouTube:トッピチャンネル
住み込みの新聞配達から

斎藤さんは再出発を始めたころ、住み込みで新聞配達をしていたそうです。
経験ありますが、新聞配達は朝も早く、やってみると意外と重労働ですよ。
毎日、必ずお客さんのところへ新聞を届けないといけない責任がありますからね。
その後は、タクシー運転手、中華料理店の見習いなどを経験されたそうで、そのころの彼を昼間、好奇の目で見ていたひとも、居酒屋で会うと彼の身の上話に耳を傾け親身に助言してくれたそうです。
ひとのあたたかさに触れられるというのは、ほんとうにありがたいことだと思います。
人との縁の大切さを再認識した斎藤さんは、知人の助けを得ながら新しい1歩を踏み出します。
事業をはじめる

観葉植物をオフィスや店舗に、定期的に届けるというビジネスを起業。
才覚があるのか、観葉植物の事業が順調に流れに乗り出すと、次は不動産業、飲食業へと次々と成功を収めていったそうです。
これは才能、センスといったものも必要だとおもいますが、やると言ったらやり遂げる根性が、人一倍強いのではないかと感じてしまいますね。
成功をつかんだ斎藤さんは、
「でも、また金銭感覚がマヒして、お金が紙切れにしか見えなくなっていた。都心の超高級マンションに住み、フェラーリにも乗りました」
引用元:newsポストセブン
慶応義塾大学を目指す

このころ、斎藤さんは体調の不良を感じてきたそう。
「事業がうまくいって燃え尽き症候群になり、お金を稼ぐことに興味がなくなったんです。何をしてもつまらなくなり、家から出なくなった。うつ状態になって夜も眠れず、苦しい日が続きました」
引用元:newsポストセブン
ここで、ビジネスパートナーが斎藤さんの不調に気づき、富士山の登山を計画してくれたそうです。
そして、富士登山を血行。
9合目まで登ったところ、天気も悪くご来光は見えない状態に落胆。
しかし、その雲の隙間から射した太陽の光に、
「その光をずっと見ていたら、ふと涙があふれてきました。今でも何で泣いたのかわからないけど、その時に『ああ、まだ俺にはやり残したことがいっぱいあるな』と思った。それは何だろうと考えて、『そうだ、勉強だ。勉強をやってなかった』と思い立ちました」
引用元:newsポストセブン
斎藤さんにとって、いろんな人生を歩んでこられた中、ここが人生で1番のターニングポイントだったのかもしれませんね。
下山中に仲間から「勉強するって、何をするんですか?」と聞かれ、
「大学にでも行くか!」という思い付きのような発言が、とても晴れ晴れとした斎藤さんの気分が感じ取れます。
東大や早稲田など知っている大学が少ない中で、思い付きで「そうだ慶応だ。おれは慶応大学に行こう!」と決心したそうです。
どこかロマンを感じてしまいます。
大学合格までの道のり
問題はここからです。
慶応大学に入るといってもこれからどうするのか?どうやって勉強するのか?って思いませんか。

アルファベットは書けますか?
斎藤さんのとった行動は、ネットで検索しフジゼミ(「訳あり」の塾生を支援する学習塾)を知り、すぐ福山に飛んで藤岡塾長と面会したそうです。
「僕は、1年で慶応に入ります!」
と、語ったそうです。
そして塾長は、
「アルファベットは書けますか?」
書けると答えたものの、「q」が書けなかったそうです。
そして、東京と福山を行き来する生活が始まります。
高卒認定試験への挑戦
「数学は小学校の掛け算と足し算と引き算と分数から始めました。英語は中1の教科書でカッコ悪かったですね。お昼休みに他の生徒が下の階でご飯を食べる中、僕は昼食も摂らず机に向かっていました。毎日が嫌で、板書する藤岡先生が夢に出てきたほどです」
引用元:newsポストセブン
勉強に励んでいる態度は、とても素晴らしく、授業を休むことなく、いつも一番前に座り勉強していたそうです。
最初に挑んだのが、高卒認定試験。
毎日12時間の猛勉強をつづけ、8か月で高卒認定試験に合格されたそうです。
凄すぎですよね!
この年、合格できたのは慶応より偏差値の低い大学だったそうで、斎藤さんはその大学に通うつもりだったが、仲間に後ろを押されたようです。
再び慶応を目指し猛勉強を始めるのですが、このころ斎藤さんは2件の窃盗被害に合い、親しい仲を疑っい心を痛めたようで、東京に帰ることとなったようです。
「東京では懇意にしている社長が僕のために『慶應受験特別プログラム』を準備し、それぞれ専門分野を持つ講師陣を紹介してくれました。フジゼミで固めた基礎学力をもとに、今度こそと念じて1日15時間の猛勉強に励みました」
引用元:newsポストセブン
2019年AO入試に挑戦、小論文「犯罪率の減少」
倍率10倍の1次試験だから、落ちるだろうと思っていたらしいのですが、なんと合格したんですね。
2次試験は残念な結果となったようですが、自身がついたのは言うまでもありませんね。
慶応大学受験へ

2020年2月とうとう本番の試験に挑戦。
4学部を受験し、3学部は不合格。
そして最後の合格発表を見に行くと、みごとに「合格」の文字。
「夢ではないかともう一度見たら、本当に合格でした。震える手でお世話になった方々に連絡してお礼を言いました。涙が止まりませんでした」
引用元:newsポストセブン
本当に慶応へ入ってしまうという、すごいことを成し遂げた斎藤由則さん。
人生為せば成るということを、斎藤さん示してくれています。
夢は必ず叶う!
斎藤さんの目標は「弁護士」だそうです。
まとめ
今回は斎藤由則さんについて調べてみましたが、いかがでしたか?
中学校を卒業してから、32歳までの17年間はまったく意味のないものではなかったのでしょう。
斎藤さんが、そのまま高校に進学していれば、もしかすると慶応には行けていなかったのでは?と考えると人生は、人それぞれおもしろいと感じますね。
これからの、斎藤由則さんのご活躍、期待しています。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。